数が多くなってきたので記事のまとめページを作りました。
#岡田斗司夫映画ゼミ ジュラシックパーク編 まとめページ



引き続き記憶とノートとGoogle、Wikipediaを頼りに書いてるので、言った内容と違ってるかもです。
あしからず。




スター・ウォーズってジョージ・ルーカスが自分でお金出して撮ってるの、あれ。
150~200億だったかな。全部ポケットマネー。
スター・ウォーズっていうのは世界最大の自主制作映画なんだ。

儲かることが分かっているから、もちろん周りの人間は「俺にも出資させてくれ」って言うんだけども、好きなようにやりたいから全部断ってるんだよ。


でも、スピルバーグは逆なの。
みんなからお金を集めて、映画を撮ってみんなに儲けさせるのが上手いんだ。
例えば、100億円集めて150億円売り上げてもしょうがないでしょ。
それだったらちょっとの金で作って、めちゃくちゃ儲けるのが面白い。
E.T.は低予算映画なんだ。有名な俳優は1人も出ていない。
E.T.に出てくる校長の後ろ姿が実はハリソン・フォードなんだけど、あれノーギャラなんだよね。

スピルバーグは低予算で面白い映画、ヒットする映画を撮るのが好きなんだ。

子供の頃のエピソードでこんなのがあるんだ。
スピルバーグが初めて映画を撮ったのが11歳で、お兄ちゃんから軍服を出資として預かって「映画撮って儲けて後でバックしてやる」って言ったんだ。
で、映画を撮って、近所の映画館を土曜の夜に貸し切りにした。
そしたらママが赤い絨毯を敷いて、ライト板を持って、スピルバーグ少年はタキシード着て登場したんだ(笑)
子供の頃から、出資させて映画を撮るなんてことをやってたんだ。
それが11歳だよ、11歳。

スピルバーグは大学時代もアダ名が「天才」で、絶対にプロの映画監督になるだろうと言われいた。
でも当時(1972、3年)のハリウッドの映画界っていうのはどんな天才でも新人が入れない状況だったんだ。
それまでのハリウッドっていうのはもう貧乏で新人を入れる余裕もなかったんだ。

ちょっと先の話をするけど、アメリカ映画が儲かったのはスピルバーグのおかげなんだよ。
スピルバーグのジョーズがメガヒットして、ジョン・ミリアスがビッグ・ウェンズデーを撮って、ジョージ・ルーカスがスター・ウォーズを撮って、その後にスピルバーグが未知との遭遇を撮って、その他にフランシス・コッポラのゴッドファーザーっていうのがあって。
そういうヒットがあってアメリカ映画が立ち直ったんだ。
そいつらはフランシス・コッポラを親分とする金曜の夜になったら集まって映画の話をするファミリーだったんだ。
ハリウッドのトキワ荘みたいなもんだよね(笑)



で、話を元に戻すね。
1950年代半ばからアメリカ映画界は儲からなくって、新人は入れない状況だったんだ。

スピルバーグはどうやって映画界に入ったかって言うと、しょうがないから偽のIDを作って、ユニバーサルの撮影所に潜り込んだんだ。
普通、偽のIDだったら潜り込むにしても2、3日でしょ?
こいつ9ヶ月も潜り込みやがったんだ(笑)
守衛さんとも仲良くなって顔を憶えてもらって顔パスになった。
駐車場に自分の場所もあって、駐車場のところに「Spielberg」って書いたんだ。

さらに空いてる部屋の1つに自分の名札を掲げて、建物の見取り図にも「Spielberg」って書いたんだよ(笑)
当時映画が儲かってなくてユニバーサル内の部屋が空いてたんだ。

その部屋に入って、映画の注文を待ってたんだけど、注文が全く来ない。
そりゃ当たり前だよね(笑)
9ヶ月経って潜り込んでるのがばれて追い出されたんだけど、「お前、面白いなあ」っていうことで、刑事コロンボのテレビシリーズを手伝ったら才能を認められて、刑事コロンボのテレビ映画の監督をやったんだ。
それも「面白い!」って評価されて次の作品も撮ってみろって言われてやったのが、トラックにおっさんが追いかけられるだけの「激突」っていう映画なんだ。

これなんて超低予算映画なんだ。
主人公の車と追いかけるトラックの2台しか出てこないからね。
でも、スピルバーグはトラックのオーディションをやるって言い出したんだ。
ユニバーサルのスタジオに何台ものトラックを集めさせて、ジーっとトラックの顔を見て
「お前や~!!」って言ったんだ(笑)

そうやって才能を披露できる場を勝ち獲っていって、大予算映画、ビッグバジェットを初めて任されたのがジョーズだったんだ。





まだまだ続きます。

親日尾