今日はアニメから歴史への話。




アルスラーン戦記 第十九章「冬の終り」に出てきたザーブル城は実際に存在したアラムート城をモチーフにしたと思われる。



このアラムート城の話から幕末志士の尊皇攘夷へ繋がるのである。


高い岩山の上に建てられている、なかなかに攻略が難しそうな城、ザーブル城
ここにはボダン率いる聖騎士団が立て籠もっている。
そして宗教的侮辱を受けて外に出て戦ってしまうのである。

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これは実存したアラムート城をモチーフにしたのではないか。
アラムート城も断崖絶壁の上に建てられ、イスラム教シーア派の異端イスマイリ派ニザリ教団が入っていた。
アラムートとは鷲の巣という意味で、鷲ぐらいしか住めないぐらい高い崖の上ということだろう。

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アラムートの砦 -こぼればなし~イラン時々別なとこ-より


伝説では暗殺教団として知られているニザリ教団だが、暗殺も手段として使っていた、といったところだろう。
その暗殺者の育て方は、若者を誘い酒や女の豪勢な遊びをさせ、時には麻薬漬けにする。そして、中毒になったところでそれを絶ち、「あいつを殺したらやるよ」と言う。

アラムート城の場所は現在のイラン、カスピ海近く
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暗殺者教団の城 アラムート城 -鳳山雑記帳-より

モンゴル帝国のフビライ=ハンの弟 フラグ=ハンがペルシア、シリアを攻めたのだ。
このフラグに従軍し、アラムート城を攻略した武将がモンゴル人ではなく漢民族の郭侃(カクカン)だった。
アルスラーン戦記でもザーブル城を攻略したのは、異国民族である銀仮面卿 ヒルメスであった。

郭侃は郭子儀(カクシギ)の子孫で、バグダッドを攻略し、十字軍とも交戦し、1年間で100以上の城砦を攻略した強者。そしてその強さから「極西の神人」と呼ばれたのだ。

郭侃のおかげもあり快進撃を続けるフラグ。
しかし、モンケ=ハンの死により、郭侃はフビライ=ハンの下に行ってしまう。
そしてフラグはアイン・ジャールートの戦いで奴隷出身のバイバルスに人生初の負けを喫する。
ここにモンゴル帝国の西征は止まる。
もし、郭侃がフラグに従軍し続けていたら、モンゴル帝国はエジプトまでも支配下に置いたのかもしれない。

郭侃がフビライ=ハンの下に行ってしまったのも、別に裏切り等ではなく、父の代から仕えていたところに戻ったというだけである。

その後郭侃は南宋の平定に活躍する。
そしてフビライ=ハン率いるモンゴル軍は南宋を滅亡させる。
また、アルスラーン戦記の原作者である田中芳樹氏がこの南宋滅亡を「海嘯」で書いているのだ。

南宋滅亡は元(モンゴル帝国)の時代に「十八史略」という書に書かれ、それが日本に伝わり、江戸時代では必須の書の1つとなった。

ここから幕末志士の尊皇攘夷へ繋がるのだが、それは次回に。




蘇我入馬