アルスラーン戦記のザーブル城はアラムート城
南宋の滅亡と幕末志士の尊皇攘夷 その1
の続きです。
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張世傑というのが南宋滅亡の代表的武人であれば、代表的な文人は文天祥(ブンテンショウ)という。
この人物もまた、不遇の闘志、精神力を持った傑人であった。
敵にも尊敬され、フビライハンから4年間もの間、自分の配下にならないかと説得されたのだ。
時には土牢に入れたり、断食に処したり、家族を人質に取ったりし、
時には金や女を与える等して、揺さぶりを掛けても全く動じない。
時には金や女を与える等して、揺さぶりを掛けても全く動じない。
「私を解放すると元に反抗する」と言い、結局最後まで説得には応じなかった。
その説得中に元の船が帰還することで南宋の滅亡を悟る文天祥。
たとえ、仕える王朝が亡くなっても節を守って、説得には応じなかった。
自分の忠の心を曲げなかったのだ。
そして、獄中で「正気(セイキ)の歌」を読む。
天と地の間には正しい気が満ちている。これが正気である。
この気に逆らってはいけない、という内容だ。
この気に逆らってはいけない、という内容だ。
正気に逆らわず節を守った文天祥の言葉。
これが朱子学とともに日本に伝わり、幕末の志士達は酒を酌み交わしながら、彼等英雄について語り合ったのだ。
この正気の詩と朱子学は幕末の藩上層部にも影響を与える。
この正気の詩と朱子学は幕末の藩上層部にも影響を与える。
吉田松陰も影響を受けた一人だ。
吉田松陰というと、獄中に身分の低い囚人と互いに教えあったり、ということをしたりして優しいイメージもあるが、このような堅いものも教えていた。
幕末志士の思想の下地には南宋の滅亡があるのだ。
もちろん、幕末志士でも主君への「忠」を持たず金のことしか考えてない坂本龍馬、岩崎弥太郎などもいたが。
(金のことしかっていうのは言い過ぎだけど、心のベクトルは他の志士と違う方向だっただろう。)
(金のことしかっていうのは言い過ぎだけど、心のベクトルは他の志士と違う方向だっただろう。)
平家物語に繋がる分かりやすさから、南宋の滅亡の話は日本ウケし、幕末志士に影響を与えたのだった。
そして、そのエネルギーが明治維新へと繋がっていくのであった。
そして、そのエネルギーが明治維新へと繋がっていくのであった。
終わり
蘇我入馬
蘇我入馬