『風雲児たち』、『ホモホモセブン』の作者であるみなもと太郎先生がマンガの歴史を紐解く本を出されました。

これ、面白くてすいすい読めるのでおすすめです。

この中に、「絵巻っていうのは日本独特のもので中国にもなかった」というのが出てきます。
絵巻っていうのは、連続した絵があってそれが物語になっている。シーンが時系列に並んでいて、それを順に見ていくものです。
マンガの原型みたいなものですね。

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日本ではその絵巻から紙芝居になり、マンガへと連なっていきます。二次元ですね。
西洋では紙芝居の代わりに人形劇が物語の語り部となっています。こちらは三次元。

ここからが僕の考察です。

テレビゲームにはスーパーマリオ等の横スクロールのアクションゲーム、縦スクロールのシューティングゲーム、紙芝居的なアドベンチャーゲームがあるじゃないですか。
そういうものはテレビゲームの主要なフォーマットの1つにそれぞれがなっています。
日本って、そういうフォーマットにゲームの作り手もユーザーも慣れ親しんでいたから、あれだけのファミコンのヒットに繋がったんじゃないかって思うわけです。

それに加えて、日本ではディズニーのようなリアルなアニメではなく、日本独特のデフォルメしたキャラクター、デフォルメした動きのアニメが主流だった。
日本はディズニーのように多くのコマを使わずに、少ないコマ数でアニメを作っていた。そして、それに視聴者も慣れていた。
で、出てきたのが今では低スペックのテレビゲーム ファミコンです。

この低スペックマシンでゲームを作るとディズニー的なリアルなアニメーションは無理です。
ファミコンでは少ないコマ数で、デフォルメしたキャラクターを動かすのが精一杯。
ってなわけで、ゲームの作り手側もこの程度までデフォルメしても、日本の子供達は楽しんでくれるっていうのが肌感覚で分かっていただろうし、それで遊ぶ子供達もそれを脳内補完できる素養があったはずです。

そもそも日本って変な国で、浮世絵みたいな二次元と、運慶の彫刻のような三次元で、まったく別物として表現していたんですよね。
日本で立体感のある絵(二次元)が出てくるのは江戸時代後半です。
二次元で表現する絵はデフォルメして、三次元で表現する彫刻はリアルに、という感じだったんです。(そもそも日本的デフォルメの絵を三次元にするって不可能に近いですよね。物理的な理屈に合ってないというか)

ゲームフォーマットになり得るものに慣れていたのは絵巻から連なっているマンガ、アニメ文化のおかげ、
低スペックマシンで再現できるアニメーションでも楽しめたのはデフォルメした絵とコマ数の少ないアニメーションに慣れていたから。

もちろん日本以外の国でも、同じようなゲームは作られていたけど、それを受け入れる文化的な下地が日本にあったからこそ、ファミコン時代に日本では空前絶後のブームが起こり、ゲーム大国になり得たんではないか、という仮説を立ててみました。

そして、アニメもゲームも3Dの時代になっていますが、そこに日本の文化的優位性はなくなっていて、過去に築いたリード、貯金でもってなんとか先頭を走ろうとしている気がしています。
3DアニメはPIXARが強いですし、リアル志向の3Dゲームも海外のものが人気があったりしますもんね。日本の独擅場ではなくなってます。


じゃあまた!