本当に殺そうと思ったことはなかったが、死んでくれたら楽になるのにと思う頻度は日を追うごとに増していった。いっそのこと誰か殺してくれないか、そう思うこともあったが、あまりに現実的でないのですぐにその思いは頭から消えていく。それならばいつもより長い時間外出して、その間におやじが死んで、執行猶予付きの判決が出たらそれでいいのに。1番現実的な答えにヒカリはいつもたどり着くのだった。
ある晴れた日の午後、ヒカリの父親はヒカリに言った。
「ヒカリ、お前には苦労させとるな。すまん。老後は眞幸教(しんこうきょう)の兄弟と支え合って生きていくつもりだったが、あの事件があってみんな散り散りになってしまったからなあ。財産も全て寄付してしまったし、お母さんも出てったし。お前に残せるものは何もないわ。」どうやら、晴れた日が続いて頭も身体も調子が良いらしい。気候が安定すると暴力性もなくなるのだ。
「ヒカリ、そこの引き出しを開けてみ」
ヒカリが引き出しを開けると、ベルトのない1つの腕時計が入っていた。
「それは私の祖父が持ってたもんで、ベルトを付ければまだ使えるはずだわ。俺が残せる唯一のものがその腕時計かな。」
痴呆になってからおやじが腕時計しているのを見たことなかったな、そういえば、とヒカリは思った。父親が働いていた頃、この時計を付けていた。その時の記憶が蘇る。
「これ前に付けてたロレックスじゃん」
「高いものじゃないと聞いてるから、価値のあるもんじゃないが。お前に子供ができたらあげるつもりだったけど。お前が結婚できずにいたのも俺のせいかもな。すまんな。」ヒカリの父親は目に涙を浮かべながら語る。
「本当は切腹したいが、そんな勇気も力も残ってないし。安楽死したいけど、させてくれんみたいだけえ、どうすりゃええだか。わざわざ鳥取に戻って来たのにな」
父親から言われてヒカリは「それなら岡山に戻らんか?あっちは晴れの日も多いし、おやじも少し良くなるかもしれんし、なあ?」と言う。介護にかかるお金も岡山なら負担が少なくなるのもあった。
「岡山か、ええかもなあ。」
おやじは今はこう言うけど、どうせすぐに忘れてしまい引っ越す段階になると「俺は鳥取で死にたい」って言い出すに違いない。ほんの一時、思考と記憶がまともになる瞬間があるだけだ。ヒカリには分かっていた。それでも涙を浮かべて語る父親の気持ちは嬉しかった。
切腹特区 16話
http://sinnichio.blog.jp/archives/1081755575.html
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